覚書

昨日、飲み会の席で話をしたこと。どこかに書かないと忘れてしまうので覚書。

  • おおた慶文といわさきちひろの違い。まず、共通点は「見ようによってどのようにも見える」。おおた慶文は恣意的。多面体のカットグラスの全部の面に違う色を乗せ、見る角度によって、違う色が見えるような描き方。いわさきちひろは透明。(おおた慶文は抑圧されたある感情が透けて見える。この違いは名前の字面にも現れている?)ただ、おおた慶文が男性で、いわさきちひろが女性であることも大きな関係があるかもしれない。女性の描く少年と男性の描く少女に共通する嘘くささ。透明感つながりで、小田和正。声が透明。(彼は何人に生まれても『小田和正』だったのだろう。歌いたい、という欲求が先にある)対照的なのが、桑田。芸術は全般的に、透明感に特化するか、濁り(個性)に特化するか、どちらか。後は好み。
  • 加納朋子はミステリを書かなくてもよい。ミステリの形式を取ることで、ミステリ部分の表記が蛇足に感じる。憶測だが、加納朋子は、小説を書く手法イコールミステリの手法では。加納朋子自身はミステリを書こう、という意識をさほど持っていないかもしれない。だいたい、加納朋子作品をミステリとして論じることはあまりない気がする。ミステリの形式を取った小説という認識で読まれているのでは。・・・あとは書く媒体とか、求められるものとか。
  • 谷山浩子はベース
  • (追記)においのある花とない花。桜ににおいがあったら、ここまで愛されなかったかも。あじさいも大量に咲くけどにおいはない。ゆりやくちなし、きんもくせい、ばらはにおいがきつい。においがある花は栽培が難しい?菜の花は臭いので例外。さくらは仄かににおいがある?
  • (追記)夜はドラマ。
  • あー・・・古書店と客の意識の乖離についてはそのうち書きたいです。秋か冬にでも。