戯言

直接的なコミュニケーション能力というのは、生まれつき備わっている能力ではないのかもしれない。見ることや歩くこと食べることなど(できない人ももちろんいるのですが)と同じようにはできない能力なのかもしれない。他人と話をするだけなら簡単なことだが、そこから一歩進んで、意志を伝達し、相手の意志を理解できなければコミュニケーションとは言えない。コミュニケーション能力が訓練を要するものだとすると、それはどこで担われているのか?国語の文章問題によくあるような「彼は傍線部1でどのように思ったのか次から選びなさい」というような問題をこなしていけば身につくのだろうか?蛇足だがコミュニケーション能力と学歴などは全く関係ないと思う。
昔よりずっと、コミュニケーションを必要としない世の中になりつつあると思う。世の中の殆どの商品はそれを売る人と会話を交わす必要なく手に入る。それが悪いことだとは思わない。けれどそれが成立するためには売り手と買い手の間に下地を共有させること、更に広げて言えば信頼関係で結ばれているからこそ成立する取引であると思う。今なぜ、マウスのクリック一つで物が手に入るのか?例えばカード決済の場合、カード会社が買い手の身元を保証しているから売り手は売るのであるのであって直接売り手が買い手のことを信用しているわけではないのだ。
話がコミュニケーションから逸れてしまったが、どんな物事にも過程が必要であると思う。過程がないように見えるのはそれが省略されているだけなのだ。コミュニケーションにおいて過程が省略されるのは下地を共有している場合である。簡単に言うと「母さん、あれをくれ」「はい、これですね」・・・というような場合。今、下地の共有なしに、過程を省きたがる人が増えているような気がする。前例で言えば相手に通じない「あれをくれ」としか言わない人。当然こちらは何のことだか分からないので詳細を聞こうとしてもコミュニケーションを拒否し、最後には怒り出す。キレる子供が問題になっていますがキレる大人も多いですよ、本当。
私が一番怖いと思うのはコミュニケーションが取れない人です。どんな恰好をしていても構いません。見るからに明らかにアキバオタク系外見でも全く構わないのです。ただ意志の疎通さえできれば。最近コミケ参加者の男性はおされになってきてますがそれに比例してコミュニケーションできない君が増えている気がします。
結論がないまま終わる。
さて、売り子頑張るか。