テレビとラジオ

母が言ったことで少しへぇと思ったこと。
テレビは対大勢を相手にしているけれどラジオは対一人を相手にしている感じがする。
言われてみれば、ラジオを囲んで大勢で聞くという図は何故か想像がつかない。店内にBGMとして流れていても、それはBGMであり、聞くために流れている訳ではない。ラジオは1人でドライブをするとき、というイメージがある。対してテレビは、最近はカーナビが普及して車の中で見ることもできるけれどもやはり家で家族が囲むものというイメージがある(現代ではそれも失われつつある光景だけれども)。テレビはたとえ1人で見ていても同じ番組を見ている限り、別の誰かと時間を共有している感じが強い。ラジオの場合聞いていたことをあまり人と共有しない感じがする。
私の場合、ラジオは職場のBGMなので日常的に聞いている。先日同僚から「ラジオのパーソナリティの女性が揃いも揃って「独身、恋人なし、もてたいー!」というスタンスなのはどうしてか?」と聞かれた。言われて見れば確かにそうなのだ。現時点ではパートナーがいなくても過去にいて、その時幸せだった、って話も滅多に聞かれない。ラジオを聞く客層は有体に言えば「もてない」ことを見越しての措置なのかととても失礼なことを考えたりしたけれど、いまひとつ結論は出なかった。
けれどラジオが1人で聞くもの、という位置付けをすればなんとなく答えは見えてくる気がする。ラジオを聞く人が一人身だということではなくて、たとえ彼(彼女)がいても、物理的に1人でいる時、街を歩くカップルなどは何か寂しさを誘うもの。そういう1人の時間を埋めるための役割を果たしているラジオはその寂しさを助長するようなことはしてはいけないのかもしれない。