上海旅行記

洗濯物

写真を見ていただければ分かりますが、中国では、洗濯物を建物に対して直角に干していました。上海は、マンションやアパートなどの集合住宅が多かったです。間口が狭いので日本のように建物に平行に干すことが困難なのでしょうか。また、洗濯物は、店の軒先などにも普通に干してありました。洗濯物に限らず、中国では、家の敷地の前の道路は公共物という認識があまりないようです。その家の持ち主が「ここは私の土地」と所有権を主張しているという意味ではありません。レストランの前では、人々がたむろして新聞を読んだり座り込んだり、何かカードゲームのようなものをしていたりしました。誰のものでもない、誰が何をしても構わない、という空間でした。
こんなことがありました。駐車場へ降りるエレベーターに乗ったら、高校生くらいの女の子が2、3人乗ってきました。うち一人がドアを抑えたまま、まだ乗っていない一人を呼んでいます。どうやら一人は買い物をしている様子。決めかねているのか「どうしよう?」「あれにしなよ」というようなやりとりが暫く続きました(中国語だったので、内容は憶測です)。エレベーターに乗った私たちは、一人が買い物を終えて戻るまで、ただ待つしかありませんでした。ようやく一人が戻ってきて、エレベーターが動き出しました。しかし、中国人の女の子たちは乗っていた私たちに謝るでもなく、平然としていました。日本人ならこれはありえないことです。エレベーターには私たちの他に中国人の青年が同乗していましたが、別に彼女たちに抗議したりすることはありませんでした。
また、こんなこともありました。男性が、道端に座り込んでいました。彼の前には何か書かれた紙が置いてありました。それは読めなかったのですが、聞いたところによると、あれは、仕事を探している人なのだそうです。紙に書かれているのはその人のスキルです。「私は○○ができます」と書かれているのですね。それを掲げて、採用してくれる人を待っていたのでした。
中国の店員さんが無愛想だということは以前にも書きましたが、これが中国の国民性なのでしょう(中華思想というものでしょうか)。けれど、現在、中国には多くの外資系企業が参入しているそうです。街を見ると「肯徳基」や「麦当旁」がありました(さて、何でしょう?「ケンタッキー」と「マクドナルド」です)。それらの店では、私たちが普通に思う接客を行っているそうです。今後は中国もそのように変わっていくのかもしれません。
けれど、街を見ると人々はどこか毅然としているように見えました。スカウトを待つ男性も、明らかに、貧しい身なりの人も、卑屈になることなく、生きているように感じました。それは日本人が生来持っていない、欠けているものであるような気がしました。