blogを書くということとそれに共感/反発するということ・2

11月1日に「[雑記]blogを書くということとそれに共感/反発するということ」というエントリを書いて以来「私は何故blogを書くのか」というブロガー*1にとって「あなたは何故生きるのか」に匹敵する哲学的命題(大げさ)を突きつけられたものの、結論を出せずにいた。
ところがオーマイニュースであっさり結論を見つけた。
この記事は着メロと個性に関するコラムなのだけれど、最後の方で個人blogにも言及してます。

『着メロと個性信仰のただならぬ関係〜烏賀陽弘道コラム(13)』- OhmyNews:オーマイニュース
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071113/17317

「自分を表現したい」=「自分の内面を他者に伝えたい」と願うのは、なぜか。「自分には他者と異なる自己」(=個性)があり、その「個性」に「価値があると合理的根拠もなく信じている」(=信仰)からだ。

 もし、自分の内面が他者の内面と大した差がない(=個性がない)と思っているなら、わざわざ他者に自分の内面を伝える必要はなくなる。また、その「個性」に大した価値がないと思うのなら、やはり他者にそれを伝える動機は生まれない。

うへぇ。全くもってその通り。
自分に価値がある、と公言するのは恥ずかしい。けれどblogを書いてる時点でそう言ってるも同じ。この記事の最後で個人ブログに言及してるので是非。あーもう、穴掘って潜りたいと思いながらこんなエントリを書いてる自分の矛盾。この矛盾とはもう少し付き合わないとならないみたいです。

*1:blogを書いてる人の総称として