三浦哲郎のこと。

随筆集を読みました。これ↓
下駄の音―随筆集 (講談社文庫)三浦哲郎
随筆と言っても、短編の名手、三浦哲郎のことですから、うつくしい短編のような随筆です。

三浦哲郎は純文学作家です。私は普段読む本はもっぱらミステリ中心のエンタテインメント系が多いんですが、三浦哲郎は好きな純文作家のひとりというか、ミステリとは別の次元で好きな作家なんですが。それが、この随筆を読んで、驚くことがありました。

同書収録の随筆「嗅ぎ煙草」にこんな記述があります。病気をきっかけに禁煙に挑んだ作者でしたが、ある日、知り合いから嗅ぎ煙草をすすめられます。

私は、さっそくデパートの輸入煙草売場へ出かけてみた。すると、あった。マッチ箱ほどの小奇麗な金属箱に入った嗅ぎ煙草が、四種類もあった。すべて西ドイツ製である。嗅ぎ煙草など、ディクスン・カー推理小説『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』でしか知らなかった私は、昂奮して四種類全部買って帰った。

初出は平成2年1月9日の東京新聞夕刊。『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』はもちろん、有名な海外古典ミステリですが、一般的知名度がそんなに高いとは思えません。…もちろん、三浦哲郎は作家ですから、知っていておかしくないのですが、純文学作家というイメージがあったので、ちょっと驚いてしまいました。
三浦哲郎井伏鱒二に師事していたのですが、井伏翁に三浦哲郎を紹介したのは小沼丹だったそうです。私は、そちらの繋がりでミステリの素養がおありなのかと、推測したんですが、この随筆集をさらにめくっていくと、「メグレ賛」と題された一篇がありました。シムノンのメグレです。冒頭部分を少し引用します。

ジョルジュ・シムノンのメグレものが好きで、毎晩、欠かさずに読んでいる。読むのはもっぱら寝床のなかだが、寝つきは至っていい方だから、別に睡眠薬代わりにしているわけではない。どんなにくたびれていても、一応は本をひらいて、読みはじめる。勿論、旅先へも忘れずに持っていく。
(中略)
以前、なにかのアンケートで「いちど会ってみたい人物は?」という問いに、なかば本気で、「パリ警視庁所属司法警察局のメグレ警視。」と答えたことがある。どうせ夢でしか会えない相手なのだが、じれったいことに、小説のつづきはおろか、メグレの出てくる夢はこれまでいちども見たことがない。

これは、初出が昭和61年9月のEQとなっているので、ミステリ好きの方には、三浦哲郎のメグレ好きは有名なことなのかもしれませんが、私は知らなかったのでとても驚いてしまいました。
私が好きなミステリと、それとは別のきっかけで読み始めた三浦哲郎が繋がったことに、驚いたのであって、純文学作家は純文学しか読まないと思っているわけではないですよ念のため。

そして、私が想像した三浦哲郎のミステリの素養は、全く、的外れでした。
「メグレ賛」をもう少し引用します。

無論、シムノンのメグレものへ辿りつくまでには、私にも人並みの遍歴があった。
子供のころに『怪人二十面相』や『少年探偵団』を愛読したから、もともとミステリー好みの素地はあったのだろうが、そんな乱歩の少年ものから、いきなりチェスタトンへ飛んだのは、少年期の終わりから青年期の初めにかけて、戦争と戦後の混乱による大きなブランクがあったからだ。また、そのチェスタトンも、自分で読みたくて選んだのではなくて、読むようにといわれて読まされたのであった。というのは、私は大学では仏文をやったが、二年生のとき、第二外国語の英語のテキストがブラウン神父ものの一遍だったのである。
私は、初めて出会った外国のミステリーを教室で読むことになったわけだが、いくら中身が面白くても、教材ではやはり心から楽しむというわけにはいかなかった。それに、このころはほかにも読みたいものがいくらでもあったし、自分でも小説の習作をはじめていたから、ミステリーへの関心はそれ以上には強まらなかった。
ところが、何とか大学を出たものの、職がなく、文筆で暮らしを立てようにも力不足で、ひどい貧窮に陥っていたころ、ふとしたことがきっかけでミステリーに親しむようになった。そのころの一時期、私は原因不明の高熱に悩まされて何十日も四畳半のアパートに寝て暮らしたが、学生時代に買い溜めた本を残らず売り払って退屈しのぎもできずにいるのを、妻が見兼ねて、ある日、内職の報酬で近所の貸本屋から寝たまま楽に読める軽装版のミステリーを一冊借りてきてくれた。妻はただ題名に惹かれて選んだらしいが、それがエラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』であった。
私はそれを手始めに、クイーンのいわゆる国名シリーズを次々に読んだ、ドルリー・レーンとも馴染みになった。それから、ほかの作家たち−ヴァン・ダインやディクソン・カーやクロフツやクリスティー等の本格ものを虱潰しに読むようになった。

クイーンから、ダイン、カー、クロフツにクリスティー!私も同じように辿って読んでいったことがあります。きっかけは氏とは全く異なりますが…。
そして、この流れでシムノンに行ったのかと思いきや。
もう少し引用します。

シムノンを読んでみる気になったのは、アンドレ・ジッドを読んでいるうちに、ジッドがシムノンを一人の優れた作家として称揚していることを知ったからである。シムノンをミステリー専門の作家だとばかり思っていたら、そうではなくて、一方ではジッドを感心させるような本格小説も書いているのであった。
(中略)
当然、この作家のミステリー作品にも興味がわいて、『男の首』でメグレに出会った。
シムノンのメグレものは全部で七十八冊にものぼるそうだが、私は六十冊ほどしかもっていない。その六十冊を、毎晩すこしずつ、繰り返し味わっているわけである。よくも飽きないものだと妻は呆れているが、私は事件や謎の成り行きよりもシムノンが書く人間と街を読んでいるから、一向に飽きない。飽きるどころか、メグレものは読むたびに新鮮である。

そして随筆の最後に氏の夢が語られます。

ミステリーについて、私は二つの夢を持っている。一つは、いつの日かシムノンに負けないような良質のミステリーを一遍だけ書くこと。もう一つは、自分のメグレ体験のすべてを注ぎ込んだ<私のメグレ>ともいうべき本を一冊書くこと。この本の巻末に、メグレもののうちで最も好きな作品を自分で翻訳して収録するのが、夢のまた夢というところである。

ご存知のように、三浦哲郎氏は、去年の夏に亡くなりました。氏の夢は叶ったのでしょうか…。

さて、私が以前に読んだ三浦哲郎作品の中で「ミステリっぽい」と思ったものがありました。これを読んだ時はまだ随筆を読んでいたなかったので、氏のミステリ好きはちっとも知らなかったのですが、もしかしたらこの作品が氏の夢のミステリ作品だったのかもしれません。
これです↓
モーツァルト荘

脱サラしてペンション経営を始めた夫婦とその周りの人々の間に起こる、ちょっとした出来事が描かれる連作短編集です。『百日紅』『白夜』のような長編や『木馬』『モザイク』の短編とも違うテイストの作品で、三浦哲郎作品に触れたことのある人は、驚くかもしれません。

よろしければ、手に取ってみてください。