久しぶりに、母校へ恩師を訪ねてきました

先生がしみじみ仰っていたことは、最近は本を読んでも、流し読み、というかじっくり腰を据えてよむことができなくなってきた。自身の問題もあるし、社会の流れが、せわしいというかそういう感じで、震災で一時、そういう空気を反省する気配があったものの、あっという間に元通りになってしまったのが残念だ、と。

最近の学生(現役世代は平成生まれだ!)の傾向をお伺いしたところ、ラノベにどっぷり漬かっちゃってる子もいる、とのこと。子もいる、なので全員がそうではないのでしょうが、最近のラノベ出版点数の膨大さは、若い子に少し前に出版された作品を手に取る機会も奪っているのかもしれないと思いました。
図書館や出版社が「ヤングアダルト」と言って、児童書を卒業したけど大人の本を読むにはまだ早い世代をターゲットにした棚作りをしたり作品を出版したり。「朝の読書」とあいまってこの市場が大きく伸びたんでしょう。それはいいのだけれど、あまりに世代ピンポイントのものばかり読むと、完全に世代だけでしか話が通じないというか。
自分のことを思い出してみると、私の頃も、言葉はなくてもいわゆる「ラノベ」に相当するものはあったのですが、いまほど供給過多じゃなかった気がします。
たとえば私が自分がものごころつく前に出版された作品を読むと、そのジャンルが何であれ、ある程度その時代の空気に触れることができます。当時の大事件を、登場人物(および読者)が全員、知っているということを前提で書かれていたり。当時の価値観(靴とバッグをおそろいにするとか!)に触れることができたり。そういうことに触れるチャンスを奪ってしまうのはもったいないなぁ、と思いました。
あと、私はてっきりネット社会の大げさな言い方だと思っていた「ゆとり」ですが、確かに影響はなくもないとのことでした。三島由紀夫も知らない学生がいるらしいです。『よんでますよ、アザゼルさん。(1) (イブニングKC)』というマンガに「サラマンダー公威」が出てきた時、私は大爆笑したのですがあのネタは知らないで読んでる人が多数なんでしょか?もったいない!

私の大好きな三浦哲郎のお話もしていただきました。先生は教科書の編纂に携わっていて、困ったときの三浦哲郎、というところがあったそうです。たしかに漱石鴎外は別として教科書に多く収録されている作家であると思います。すぐれた短編がたくさんあるし、言葉も平易だし。実際、私も初めて読んだのは教科書の『盆土産』(別名:えんびフライ)でした。私はこの作品が大人になってもずっと心に残っていて、今でも読んでいるのです。
昨年の夏に亡くなったことも残念だけれど、同時期に亡くなった井上ひさしと比べてメディアの取り上げ方がいまいちだったのが残念というお話をしました。
けれど、メディアが取り上げることと文学的評価(価値)は別物なのですね(何しろ「ひょっこりひょうたん島」という超有名作品がありますからね!)。
先生は、三浦哲郎は派手さはなく、言葉を丁寧に紡ぐ作家で、短編は、枚数こそ少ないもののそれこそ腰を据えてじっくり読みたい作家なのだけれど、だからこそ時代にそぐわないのか、亡くなったことで、もう、消えていってしまう作家なのかもしれないとおっしゃっていました。そして、悲しいかなそういう作家はたくさんいる。例外は遠藤周作かもしれない、と。
余談ですが遠藤周作は嫌いではないですが彼の根底にはキリスト教思想があるのでいまいち私にはそぐわない気がするのです(というかそういう遠藤が多少なりとも流行作家になったことがむしろ驚きですが。だってすっごいマザコ○…むぐむぐ)。
私が一時、古書に関わっていたことを先生はご存知なので、ついでに古書価のお話もしました。古書価もメディアと同じように、作家や作品の評価とは全く別物で、特殊な需要と供給に基づいて値段が付くんですねぇ、としみじみおっしゃっていました。一時的にも古書に携わってしまうとそういう値の付き方にあまり疑問を覚えなくなってしまうところがあるのですが(高い値段を付けても、その値段で欲しい人が買いたいなら買え、というのが古書価だと思うので)悪く言えば足元を見ているというか。
高額な古書価のつく(いわゆる「黒い」)ものというのは、市場に少なくて需要が多いものになると思います。ここでまた三浦哲郎の話に戻っちゃうんですが、三浦哲郎の場合、需要があまりなく(涙)、市場にはあるので古書価がつくほどではないという、悪く言えば中途半端。実は探そうと思えばある程度大変かもしれないんですが、一部の代表作は絶版にはなっていないこともあり、古書店が古書価をつけない作家になってしまっていると思います。そうすると市(いち)で一山いくらの山に埋もれてしまう。数(十)年後、手に入れようとしても逆にどこにもない作家になってしまうんじゃないかと、それが心配です。

とまぁ色々。書ききれない!映画『まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)』のこととか、最近の学生の就職のこととか(私のこととか)『バッテリー (角川文庫)』はBLと言ってしまった(私が)こととか、震災のこととか、私の頃とは変わった母校のこととか。

時間にして30分くらいだったんだけど、いろんなことお話したんだなぁ。改めてびっくり。お時間をいただいて嬉しかったです。

実は、アポなしの訪問だったため、教授棟の受付で内線を入れてもらった。そこで名前も卒業年も聞かれないことに驚いたが(いいのか?)受付の女性の対応を見ると、卒業生が尋ねてくるのはよほど珍しいという感じがしました。立地的に、私のような地元民の卒業生も少なくない学校なのだけれど、そんなもんなんでしょか?