壊れると嬉しい

さっき、お風呂に入っていたら、シャンプーが出ないという事態に遭遇。
ポンプを押しても「すかっ」って空振る。


すわ、壊れたか。


と思って「わくわく」した。


別に私は破壊に快感を覚えない。セーラー服は着てないし、機関銃も持ってないJKでもない。


ただ、最近「壊れた」経験があまりない。
割れたコップは、自分の過失も含まれるからどちらかというと「壊した」になるし
開いて使えない歯ブラシや穴の開いた靴下は、経年劣化であって「壊れた」とは違う。
音が聞こえたり聞こえなくなったりするイヤホンは、音が聞こえる状態がある以上、完全に壊れたとは言い難い気がする。


一方で、世の中、色々な物が溢れている。便利なもの、素敵なものetc
それらは「ほら、こんなに素敵でしょう、便利でしょう」とアピールして、私の財布を開かせようとする。


けど、家の中を思い出すと、古くてもう綺麗じゃなくて決して便利とは言えないけど、壊れてもいない、まだ使えるもので溢れている。
壊れてくれればいいのに、それらはなかなか壊れない。かといってまだ使えるものを捨てて新しいものを買うことにためらいがあるし、故意に壊すのは何か違う気がする。


シャンプーのボトルは、ネジになってるところを開いてまた閉じたら、問題なく出た。
ちょっとがっかりして、私は髪を洗いました。